LOGIN九月一日、始業式。
校庭に並んで校長先生の話を聞いている間、私はずっと自分の上履きを見ていました。
まだ夏の終わりの日差しで、砂が白く光っていました。
前に立っている生徒の背中を見ながら、去年の始業式のことを思い出していました。
あの日は和樹くんが貧血で倒れそうになって、途中で保健室に行きました。
私は列を抜けられなくて、終わってから走りました。
今年、四人は全員、平気な顔で立っています。
誰も倒れません。
よかったね、と思いました。
本当に、そう思ったのです。
教室に戻ると、席替えでした。
「よし来た」
くじを引いた幸也くんが、拳を握りました。
「澪ちゃんの隣。神」
「引きが強いですね」
「実力だよ」
和樹くんは窓際の、一番後ろの席になりました。
私の斜め後ろです。
振り向けば見える位置です。
振り向かないように、と
元旦の朝は、よく晴れていました。結守神社の石段には、町の人がぽつぽつと上っていきます。たいした人出ではありません。それでも一年でいちばん賑やかな日です。私たちは、十時に鳥居の前で待ち合わせました。「明けましておめでとうございます」「はい、おめでとう」幸也くんが両手を合わせて、ふざけた礼をしました。新太くんが後ろから頭を叩きました。久遠くんは、鳥居を見上げていました。和樹くんは、私の隣に立ちました。昨日の夜まで火の始末をしていた場所です。灰の匂いが、まだ少し残っていました。五人で参拝をしました。鈴を鳴らして、二礼二拍手一礼。私は、何も願いませんでした。願うのが、怖かったのです。顔を上げると、和樹くんも手を合わせたまま動いていませんでした。「何かお願いしたんですか」「いや」和樹くんは、少し笑いました。「なんか、お願いすると大変なことになる気がして」私は、笑い返せませんでした。◇社務所の前で、おみくじを引きました。うちの祖母が売り子をしているので、五人ぶんまとめて引かされました。「幸也が大吉」「よっしゃ」「新太が凶」「は?」「久遠が中吉。和樹が吉。澪ちゃんが小吉だね」祖母が、慣れた手つきで配っていきました。「凶とか初めて見たんだけど」「結べば大丈夫だよ」「結んで消えるもんなの? 神様ってそんな雑なの?」幸也くんが笑いました。新太くんは、本気で嫌そうな顔をしていました。私は、自分の小吉を見ながら、なんとなく言いました。「去年と同じです」言ってから、しまったと思いました。ただの世間話のつもりでした。本当に、それだけのつもりだっ
家に帰ったのは、二時過ぎでした。布団に入っても、しばらく眠れませんでした。八月から、半年が経とうとしています。天井の木目を見ながら、私は指を折っていました。八月、九月、十月、十一月、十二月。もう五ヶ月になります。あの夜、和樹くんは一人でした。私は一人の人を好きで、その人も私を好きで、それだけで世界が足りていました。今は、四人います。四人とも私を好きで、私は四人とも好きになってしまいました。結局、半年かけて、私は何もできませんでした。神様は出てきません。戻す方法は分かりません。答えは出ません。四人には待ってくださいと言ったきりです。できたことといえば、四人を好きになったことだけです。それは、できたことではありません。してしまったことです。手袋の感触を、まだ覚えていました。三人に渡したときのことも、覚えています。新太くんはカイロを握りしめて何も言わず、幸也くんは靴下を見て大笑いして、久遠くんはブックカバーをその場で本にかけました。四人とも、同じ顔で喜びました。右の頬にだけ、笑窪ができました。来年も、隣にいたい。和樹くんは、そう言いました。あの人が初めて言った、たった一つの望みです。叶えてあげたい、と思いました。思ってから、気づきました。それは、三人に消えてもらうということです。新太くんが消えて、幸也くんが消えて、久遠くんが消えて、和樹くんだけが残る。あの人の望みを叶えるというのは、そういうことです。私は布団の中で、頭まで潜りました。枕元の携帯が、一度だけ光りました。誰からのものかは、見ませんでした。目をつぶって、私は明日のことを考えました。初詣に行きます。五人で、この町でいちばん古い社に。去年の元旦
大晦日、うちは朝から忙しくなります。結守神社の初詣は、たいした人出ではありません。それでも氏子の家は、前の日から社務所を開けて、火を焚いて、お神酒の支度をします。一ノ瀬家は代々その役です。町の人が三百人も来れば多いほうです。それでも、やることは一通りあります。祖母は朝から白い割烹着を着て、近所の人に指示を出していました。この日の祖母は、いつもの倍くらい背筋が伸びます。五十年やってきた人の顔になります。「澪、提灯の箱を出しといで」「はい」「それと、若いのが四人来るって話だったね」「……なんで知ってるの」「電話があったよ。結城さんとこの子から」◇四人は、昼過ぎに来ました。「手伝いに来た」新太くんが、いちばん前に立っていました。「誰が言い出したんですか」「幸也」「え、俺?」「お前が『澪ちゃん大晦日ひまかな』って言ったんだろうが」「それ、ひまかなって聞いただけじゃん」「聞いた時点で行く気だろうが」「まあ、そうだけど」幸也くんは、悪びれませんでした。久遠くんが、黙って軍手を配りました。四組あります。用意がよすぎます。「私の軍手は?」「あ、すまな──いや、それぐらい君の家にあるだろう」珍しく、久遠くんが吹き出して笑いました。その通りでした。四人は、よく働きました。軍手をはめた新太くんが、いきなり一番重い箱を持ち上げて、祖母に「腰を入れな」と言われていました。新太くんは提灯の箱をまとめて運んで、祖母に「男らしいじゃないか」と褒められていました。幸也くんは近所のおばさんたちに囲まれて、五分で全員の名前を覚えていました。久遠くんは黙々と参道の落ち葉を掃いてい
クリスマスの前の週、幸也くんが宣言しました。「今年はクリスマス会をやります」「誰の家で」「うち。母さんの許可も取った。ケーキは新太が買ってくる」「なんで俺が」「バイト代入ったって言ってたじゃん」久遠くんが、静かに手を挙げました。「人数は」「五人」「なら、椅子が足りない」「久遠、そういうとこだぞ」◇結城家のクリスマス会は、思っていたより賑やかでした。お母さんが張り切ってチキンを焼いて、お父さんがビールを飲んで、新太くんが買ってきたケーキは五人分にしては大きすぎて、幸也くんがクラッカーを鳴らしすぎて怒られていました。私は、笑っていました。笑いながら、少しずつ疲れていくのが分かりました。四人が同じ部屋にいると、私は四人分の顔をしなければなりません。幸也くんの冗談に笑って、新太くんの不機嫌に気づいて、久遠くんの視線を意識して、和樹くんに申し訳なくなって。十二月の私は、そういうことが少し下手になっていました。夏のころは、もっとうまくやれていた気がします。四人と順番に過ごして、順番に楽しくて、それで終わっていました。好きになってしまうと、こんなに難しくなるのだと知りました。「帰る?」和樹くんでした。台所でお皿を洗っていたときです。振り向くと、和樹くんが布巾を持って立っていました。「まだ、大丈夫です」「顔、疲れてる」この人は、こういうことを言ってきます。大丈夫かとも、無理するなとも言いません。見たままを言って、あとは私に決めさせるのです。「送るよ。あいつらには言っとくから」◇玄関を出ると、息が白くなりました。街灯の下を、二人で歩きました。他の家の窓に、飾りの光が見えました。どこかでクリスマスソングが鳴っていま
十二月の水曜日、久遠くんは資料室にいました。文化祭はとっくに終わっているのに、この人はまだ通っています。展示に使わなかった資料が、まだ机の上に残っていました。「何か分かりましたか」「行き止まりだ」久遠くんは、古い地図を畳みながら言いました。「江戸より前の記録が残っていない。天保のころに一度、社務所が焼けている。それ以前のことは、口伝でしか残らなかった」焼けていてよかった、と思ってしまいました。そう思った自分が、少し嫌でした。「そうですか」ほっとしたことが、顔に出ていたかもしれません。「残念そうじゃないな」「……そんなことないです」「そうか」久遠くんは、それ以上言いませんでした。窓の外は、もう暗くなっていました。資料室にはストーブがなくて、息が少し白くなります。久遠くんは上着も着ずに、袖をまくったままでした。この部屋に、この人はもう何時間いるのでしょう。展示はとっくに終わっているのに、調べることをやめないのです。「久遠くん、寒くないんですか」「寒い」「着てください」「そうする」言われないと着ないのに、言えば素直に着る人です。椅子の背にかけてあった上着を取って、久遠くんは座り直しました。そして、こう言いました。「新太は、この一か月で三回謝ってる」「え」「君にだ。自分が不機嫌だったことを、後から謝ってる。あいつはそういうことを俺たちには言わない。でも顔で分かる」私は、黙っていました。「幸也は、月曜の帰りに何かあったな」心臓が、跳ねました。「火曜から、あいつの喋る量が三割減ってる。笑い方も変わった」「……どうして、そんなことまで」「見えるからだ」
十二月の月曜日は、幸也くんの日です。その日は朝から雨で、放課後になっても止みませんでした。傘を持っていなかった私に、幸也くんは自分の傘を押しつけて、自分はフードをかぶって歩き出しました。「入ってください」「いいって。俺、雨好きだから」「嘘です」「ばれた?」結局、二人で一本に入りました。肩が濡れるのは、幸也くんのほうでした。何度こちらに寄せても、その分だけ幸也くんが離れます。途中で諦めました。歩きながら、幸也くんはずっと喋っていました。昨日見たテレビの話。クラスの誰かが先生に怒られた話。コンビニの新作の肉まんが思ったより小さかった話。全部、どうでもいい話です。幸也くんは、私が黙っていると必ず喋ります。三秒以上の沈黙を、この人は作りません。最初は、そういう性格なのだと思っていました。夏の川で笑っていたときも、ずっと喋っていたからです。でも、十二月になって気づきました。この人は、喋っているのではありません。沈黙を埋めているのです。商店街のアーケードに入って、傘を畳んだとき、私は聞いてみました。「幸也くん」「ん?」「疲れませんか」幸也くんの手が、一瞬止まりました。「何が?」「ずっと、喋っているのが」「疲れないよ」幸也くんは、すぐにそう言いました。速すぎる返事でした。「じゃあ、十分だけ黙ってみませんか」「は?」「今から十分、二人とも黙って歩きます」「なんの罰ゲーム?」「罰ゲームじゃないです」幸也くんは、明らかに困った顔をしました。困った顔をしたことを隠すために、笑いました。その一瞬の表情を、私は見逃しませんでした。久遠くんの見